3/26 仕事に行けなくなった日からのこと

3/21の出勤中にパニック症候群を発症して、あっけなく仕事が休みになった。辛すぎてしんどすぎて、よく分からなくなっていたから仕事に行けていた。朝に絶望して葛藤して遅刻ギリギリに家を飛び出ることも、頭も胃も痛くて目が開かないことも、職場についたら人が変わったかのように明るくハキハキすることも、そういうものなんだって何の疑問も持たなくなっていた。「つらいしんどい休みたい助けて」と思う自分はずっといて、その声はうるさいくらい聞こえていたけれど、もう一人の自分が身体を乗っ取るような感じで動かしていた日々だった。「行けば働けるんだから頑張れるでしょ」と指令していた脳と身体を繋いでいた糸のようなものが、ぷつんと切れた瞬間が明確に分かった朝だった。身体がこれ以上の頑張りを拒絶しているのだと、諦めることは簡単だった。

 

もう頑張れないということを受け入れられたとかじゃなくて、ああこれが限界なんだって理解したみたいな感じ。納得でも満足でもなく、諦めがついてスッキリした感覚。

 

散々苦しんできた身体のあらゆる不調はみるみる改善した。顕著だと思うのが、目が開くようになったことと、喉のつっかえがなくなったこと。目は、瞼が重いような眼球が乾燥しているような、あるいは脳みそに膜が張ったような感じがしていた。喉は、つばが飲み込みにくくて、息がしっかり吸えなくて、ずっと呼吸が苦しかった。頭痛や胃痛と違って、気持ちの問題のような症状だったからストレスになっていたけれど、収まってきてやっぱり気持ちの問題ではなく、ちゃんと身体の不調としてあった症状なんだと分かった。

 

朝の抗えないしんどさも消えた。そりゃもちろん、仕事に行かなくてよくなったのだから当たり前なんだけど、毎朝のあのどうしようもない頭と体の重たさと動けなさは「仕事に行きたくない」からだったんだと分かった。体調が悪いから仕事に行けないのではなく、仕事に行きたくないから体調が悪くなっていたのだった。

 

鬱なのかもしれないと思っていたけど、仕事が休めるようになってから明らかに調子が戻っているので、診断してもらえるならば「適応障害」なのだろうと思う。次の日記では、仕事の何がつらくて合わなかったのかを考えようと思う。思考を文字にしないと堂々巡りになるし、忘れてしまうから、自分の備忘録として。