4/21 退職と、精神科受診と、転職のこと。

3/19最終出社、3/29精神科受診で「適応障害」の診断書を書いてもらい、4/30で退職となった。今年の初めに4月~6月で更新契約になっていたけど、ちょうど切り替わりの時だったから終了にしてもらった。保険証と傷病手当金のため、働かないけど1ヶ月だけ更新してもらったので、3/31ではなく4/30退職になった。

よく分からないし面倒だから3月末で契約終了で国保に入る感じかな、傷病手当金とかも別にいいかなと思っていたけど、相談してみるものだなと思った。派遣元の営業さんたちには、ご迷惑しかお掛けしなかったのに、色々と助けてもらってありがたい。貸与品の返却や置きっぱなしの自分の荷物の郵送も早かった。

派遣先の方々には、この忙しい3月4月に多大な迷惑をかけてしまった。総務人事部の春なんて一年で一番忙しいだろうし、色々と教わっている真っ只中だったし、引き継ぐつもりのことがたくさんあったと思う。でも、あのままだと職場でどうなっていたか分からない。自分の舵を自分で切れる最後のチャンスだったと思うしかない。

 

3/29に精神科に行った。適応障害という病気はないとしている先生らしく、鬱だと診断された。正直、仕事に行かなくなってから元気だった。ゾンビのように出勤していた日々が嘘のように、服装もメイクもしっかり楽しめていたし、外にもよく出ていた。希死念慮も体調不良もかなり治まっていた。鬱っぽさが見られない状態での受診だったし、診察でも仕事でいかに辛かったかをほとんど聞かれなかったので、あっさり鬱の診断書が出たことに拍子抜けした。

先生は私のメンタルではなく、電話問診や、カルテに書いた体調面を見て診断したらしかった。私にはそれが合っていたと思う。

精神科の診察とは、どれだけ辛かったかを聞いてもらうものだと思っていた。いつからどんなふうに辛くて、どうしてこうなったかを説明して、病気なんだと「納得」してもらはなくてはと意気込んでいた。

でも、私の性格的に「うんうん辛かったね、無理しないで休んでいいんんだよ」と手放しに甘やかされるのは違った。だから、冷静に「鬱傾向にありますね」って睡眠薬をポンと出されただけで十分だった。

身近な人に辛さを慰めてもらうよりも、私はさっさと「医者からの証明」をもらって安心したかっただけみたいだ。これは、相性と運が良かっただけとも言えるから、オススメしたい考えではないけど。「ああ、私はこの”職場”でこの”タイミング”で”公的”に鬱になったんだな」と、客観視できてラクになった。

「自分の性格とか、生き方が悪いのではないのだ」と。

 

しっかり休んで、とSNS上では本当にたくさんの人に言ってもらった。公的な制度もたくさんあるし、無理して急いで社会復帰する必要はないことを教えてもらった。今の状況で頑張る以外の選択肢を照らしてもらったことで、精神科へ行ってみようとか、仕事に行かないという判断ができたと思う。

 

ここからは、日記ではなく手紙です。

 

スレッズ上では、私への心配や共感でフォローしてくれている人が多い気がしたから、書かずにいたけど、実は5月から正社員での転職が決まりました。社会人1年目の10月に退職してから、派遣やアルバイトを転々としてきて、7年ぶりの正社員です。今月は転職活動をしていました。裏切られたと思ってしまう人がいたらごめんなさい。でも、私の人生だから、みんなが休めって言ったから休むのも、ムリって思われてるならムリだなって諦めるのも違うよね。どんな仕事に就いたかは、また落ち着いたら書くかも。

 

本当に鬱だったの?本当に仕事辛かったの?と、疑いたくなったり裏切られたりした気持ちになる人もいるかな。でも、それはやっぱり「他人には分からないこと」だと思います。私とあなたは会ったこともない他人だからってだけじゃなくて、価値観は人それぞれ違うから。だから、どう思われても仕方ないしそれに関して「本当だよ」とムキになる気持ちもありません。

ただ、自分自身の辛さに対してもそう思うようなら気を付けてほしい。「他人に比べたら私はまだ辛くない」「こんな程度は我慢できる」と、自分の辛さを疑わないでください。自分の辛さは本当の意味で自分しか分からないからです。

SNSに吐いて誰かに助言や叱咤をもらっても鵜呑みにせず、自分がどうしたいのかを考え続けてください。自分の心が、身体がなんて言っているかを聞く耳を閉じないでください。

休んでもいいけど、休まなくてもいい。辞めても、続けてもいい。全部自分が決めてもいいし、自分が「この人の意見を聞きたい」と思うなら決めてもらってもいい。周りが、社会が、大多数が選んだ道だけが正解じゃないです。

これからも続いていくしかない人生を、自分で選んだと信じて歩いていけますように。

3/26 仕事に行けなくなった日からのこと

3/21の出勤中にパニック症候群を発症して、あっけなく仕事が休みになった。辛すぎてしんどすぎて、よく分からなくなっていたから仕事に行けていた。朝に絶望して葛藤して遅刻ギリギリに家を飛び出ることも、頭も胃も痛くて目が開かないことも、職場についたら人が変わったかのように明るくハキハキすることも、そういうものなんだって何の疑問も持たなくなっていた。「つらいしんどい休みたい助けて」と思う自分はずっといて、その声はうるさいくらい聞こえていたけれど、もう一人の自分が身体を乗っ取るような感じで動かしていた日々だった。「行けば働けるんだから頑張れるでしょ」と指令していた脳と身体を繋いでいた糸のようなものが、ぷつんと切れた瞬間が明確に分かった朝だった。身体がこれ以上の頑張りを拒絶しているのだと、諦めることは簡単だった。

 

もう頑張れないということを受け入れられたとかじゃなくて、ああこれが限界なんだって理解したみたいな感じ。納得でも満足でもなく、諦めがついてスッキリした感覚。

 

散々苦しんできた身体のあらゆる不調はみるみる改善した。顕著だと思うのが、目が開くようになったことと、喉のつっかえがなくなったこと。目は、瞼が重いような眼球が乾燥しているような、あるいは脳みそに膜が張ったような感じがしていた。喉は、つばが飲み込みにくくて、息がしっかり吸えなくて、ずっと呼吸が苦しかった。頭痛や胃痛と違って、気持ちの問題のような症状だったからストレスになっていたけれど、収まってきてやっぱり気持ちの問題ではなく、ちゃんと身体の不調としてあった症状なんだと分かった。

 

朝の抗えないしんどさも消えた。そりゃもちろん、仕事に行かなくてよくなったのだから当たり前なんだけど、毎朝のあのどうしようもない頭と体の重たさと動けなさは「仕事に行きたくない」からだったんだと分かった。体調が悪いから仕事に行けないのではなく、仕事に行きたくないから体調が悪くなっていたのだった。

 

鬱なのかもしれないと思っていたけど、仕事が休めるようになってから明らかに調子が戻っているので、診断してもらえるならば「適応障害」なのだろうと思う。次の日記では、仕事の何がつらくて合わなかったのかを考えようと思う。思考を文字にしないと堂々巡りになるし、忘れてしまうから、自分の備忘録として。

3/9〜 自分が見つからない

土曜日、8:30にスッキリ起きる。洗濯を回して掃除をしてホットケーキを焼く。10時過ぎに親からLINEが入り昼過ぎに焼肉に行く。ここ数週間の鬱状態の話はしなかった。食欲も元気もあったので疑われもしない。帰宅して洗濯を取り込み、気になる会社のうち一社に応募する。家から30分、昼すぎ出勤、シフト制。10日ぶりに湯船を洗って入る。YouTubeで料理動画を見る。なかなか眠れず4時まで起きていた。

 

日曜日、10:30に目が覚める。今日も天気が良かったのでシーツを洗う。仕事を辞めたいなと思い、衝動的に辞めてしまっても大丈夫なように短期アルバイトにいくつか目星をつける。昨日から引き続き料理動画を見る。いつも気に入るとそればかりになって、同じ動画だろうと構わず流し続ける。いつだかネットで「鬱の人は一曲リピートする」って読んだ。本当なのかな。お昼に鯖缶うどんを作る。14時過ぎに頭痛と眠気で昼寝をして、17時過ぎに起きる。バファリンを飲む。湯船には入れない気分だったのでシャワーだけ浴びる。お弁当のおかずと夕飯を作って食べる。洗い物をして排水溝とトイレ掃除をしてゴミをまとめる。夜に教えてもらった精神科のweb予約をする。

 

月曜日、家を出る15分前になんとか布団から出る。朝がとにかく辛い。前日の夜は平気なのに寝て起きたら人格が変わったかのように仕事に行きたくなくなって身体が動かない。眉毛と下地だけやって、お弁当は作れず家を出る。ゴミは捨てられた。足が重くてゆっくりしか歩けない。仕事中も頭がぼんやりする。脳みそと頭蓋骨の間に一枚何か挟まってるような感覚。目が開けづらいのはいつからだっけな。喉に何かつっかえてる気がするのも。午前中に精神科から着信あるが出られず、昼時にかけ直すも担当者不在とのこと。意外なスピード感。明日かける。たくさん仕事をしておくが、まだまだ仕事は残っている。湯船無理、夕飯食べられず。

 

火曜日、天候不良。偏頭痛強めで起床、布団から出られるわけもなく、最初は1時間遅刻のつもりだったが、午後からも気圧が最悪なので休むことにする。8:50職場に電話。上司のやれやれ声を感じて午後から行くって言いかけてやめた。行ける気がしない。暗い部屋でずっと横。昼に精神科に電話。明るくハキハキ喋る看護師で、予約前に電話問診。身体の不調を伝え、仕事関係ある?と聞かれて仕事の話をする。15分ほど話して「身体の不調が色々出てるから先に内科に、ってことになるかもしれないけど、医者に伝えてみて判断をもらってから折り返す」とのこと。希死念慮の話をし忘れたし、内科に行けって言われるだろうなぁと思っていたら「一度来てみましょうか」と連絡が来る。ホッとしてる自分がいた。3月最終週に初診を受けることになった。湯船無理、簡単な夕飯。

 

水曜日、4時ごろ強い胃痛?腹痛?で目が覚める。10分くらい苦しんだ後いつの間にか寝てて、6時前にまた起きる。トイレで苦しむもシクシク痛くベッドで横。6:30のアラームが鳴るがどうにもお腹が痛く、1時間遅れて行くことにする。8時になんとか這い出てお弁当詰めて、眉毛と下地だけやって出勤。仕事中もお腹がキリキリ痛み、お弁当を残し、二度お腹を下す。肩と背中も刺すように痛く、頭もぼんやりしている。それなのに仕事は溢れ、自分が何をやってるのか?ちゃんとやれてるのか?分からなくなる。考えるのに疲れる。途中で発狂しそうになる。散々帰りたい衝動に駆られるも、外の空気を吸ったりトイレに行ったりすることでなんとか定時まで働く。湯船無理、ローソンでお酒とからあげくんとアイスを買って食べる。

 

木曜日、5時頃にまた腹痛で目覚める。そこから寝たか寝てないんだかで6:30のアラーム。6:50に這い出て7:05に家を出る。お弁当は作れなかった。通勤電車で派遣元に辞めたい旨をメールする。会社の最寄りから足取りが重くなり、ランチを買えず出勤。時々発狂しそうになりながら午前を乗り越え、お昼はセブンで食べたいものが分からずおにぎりと大福というキモい組み合わせを買う。なんかやたら気が大きくなる感覚で上司にどんどん話しかけてしまう。いつもなら様子を伺いすぎて先延ばしまくる質問も、一切相手を見ずに声かけてしまうことが続き反省。多動か?ってくらい席も立ってしまう。自分がどうやって仕事をしてるか、オートモードのように自分の意思と行動が剥離している気がする。夕飯を食べすぎてしまう。

 

金曜日、朝はいつも通り葛藤と絶望。声に出して「いやだいやだ」「行きたくないのに」「あ〜休みたい」と戯言のように繰り返す。半べそをかきながら家を出る。仕事中も胃が痛くて気が気じゃない。業務は普通にやれてる不思議。職場の近くの美容院を予約しているので定時まで歯を食いしばって働く。退勤した途端ウソみたいに身体が軽くなり(もちろん全快には程遠いけど)バックレることなく美容院へ行き、気分が浮ついていたので前の職場の同僚に「今から会えない?」と連絡して、21時過ぎからサク飲み。ここ最近仕事が辛くてかなりヤバいってことを軽いノリだけど話せた。身近な人に初めて言った。精神科のことまでは言わなかったけど、大変なんだってことを少しでも知っておいてくれる人がいるのは安心だと思う。良い気分のまま土日を迎える。

3/12 精神科予約日記

スレッズでめちゃくちゃ鬱投稿をしまくる中で、そう少なくない人数の方たちに精神科に行くよう勧めてもらった。

早めに行った方がいいとのことだけど、自分が精神科に行くなんて信じられなくて、いやいやそこまでじゃ……と思っていた。

しかし、今の私にはまともな判断力は恐らく残っておらず、もしかしたら本当に精神科に行った方がいいのかもと思うも、どこに行けばいいのか分からなかった。

 

家から近いところはどこも口コミが悪かったり(口コミって良くも悪くも“書きたい”と思うほどのことがなければ書かないものだし、感情が昂ってる状態で書く人が多い気がするので、アテにならないとも思うが、読んでしまった以上は気になってしまう)

初診は電話予約だったりと(数年前に同棲してた彼氏が鬱っぽくなった時に代わりにいくつもの心療内科に電話したが、どこも1〜2ヶ月先と言われて絶望した記憶があって、どうせ断られると思うと億劫だった)

ただスマホをスクロールし続けていたところに、有識者の方からある病院を勧めていただいた。

 

そこは初診からweb予約ができた。ただ、そこで完了ではなく、病院から電話が来て話をした上で受診すべきかを判断するというものだった。

3/10の夜中に予約して、3/11の9:30には電話が来たが仕事中で取れず、昼休憩に折り返したが担当が不在だったため、3/12の昼に電話がかかってきた。

 

明るくハキハキ喋る女性看護師で、「どんな症状でお悩みですか?」という質問から始まった。

まず、身体の不調から伝えると、看護師はひたすら相槌を打ち「睡眠はどうですか?」と「仕事は関係ありそうですか?」と聞かれた。

仕事は大いに関係があるので、いつから辛いのか、仕事の何が辛いと感じるのかを話した。

一通り話すと「身体の不調が多く出てるから、まず先に内科に行ってもらうかもしれませんが、先生に確認してまたお電話します」と言われた。

その時に、希死念慮のこと言えてないと気付いたが、なぜか言えず(なぜかというか、誰に対してだとしても死にたいことを、この声で伝えることはとても勇気がいることだと思う)ああ、これじゃ精神科にかかれないままなんだろうなと思いながら電話を切った。

電話を待つ間、内科には行かないだろうなぁと思った。心から来てる不調だから、頭痛薬や胃痛薬をもらったところで根本的な解決にはならないと分かっていた。

 

1時間後に電話が来て「一度来てみましょうか」と言われた時、なんだかすごくホッとした。精神科医が話を聞いた方がいいと思ってくれて良かったと思った。大したことないだとか、まずは内科じゃないかだとか言われなかったことに安心した。この辛さは本当なんだと公に認めてもらえたような感覚があった。

看護師は「あなたの話し方がちょっと引っかかったので、気持ち強めに先生にお伝えしました」と言った。

初診は3月最終週。ものの3日で精神科の予約が取れたことに驚いている。病院を紹介してくださった方には深くお礼を申し上げたい。

 

当日までに話したいことを書き出そうと思うが、それは想像以上に自分の傷を広げるようなしんどい作業だろう。見て見ぬ振りをしてきた黒くてべっとりとした負の感情に向き合わなくてはならない。

でも、これをきっかけにラクになれたらいい。変われたらいい。精神科に期待するわけではないけれど、自分の人生において大きな意味のあることだと思うから。

3/8 鬱(微)回復記録

たかが10日前後で知った気になるなよって思われるかもしれないけど、また鬱に襲われた時用に備忘として色々残しておきたい。

 

鬱っぽくなると(診断してないので鬱とは言い切れない)出来なくなることってたくさんある。

 

・起きられない→目は覚めるけど起き上がれない。動けない。身体が言うことを聞かない。遅刻ギリギリで飛び出すように家を出ていた。

・身なりを整えられない→起きることがギリギリのせいもあるけど、髪を巻いたりメイクをフルでしたりが出来ない。休日に服に着替えられない。お風呂上がりのスキンケアやヘアケアも出来ない。ドライヤーだけなんとかやれていた。お風呂に入らないと布団に入りたくないタイプのおかげで、お風呂にはさっさと入れていた。去年末から毎日続けていた湯船、足のマッサージも一切やらなかった。

・動けない→仕事に行っているから動けているけど、歩く速度がめちゃくちゃ遅くなってた。足が上がらないし動かない感覚が強くあった。電車の吊り革を掴めないから寄りかかれる場所に立ってるとか、仕事中にトイレやコピーに行くのが億劫になるとか、とにかく身体が痛い怠い重いで行動が制限されまくっていた。

・感情を少しでも揺さぶるものは摂取できない→何回も見たことのあるYouTube動画ばかりループしていた。というか、オモコロチャンネルを見るか匿名ラジオを聴くかしか出来なかった。展開の分かる動画だとストレスが無いからかもしれない。音楽も歌詞のメッセージがやたら入ってきて何も聴けなかった。治りかけてきた時に途中まで見てた「最愛」を見ることが出来た。

・声が出ない→仕事で上司に話しかけられた時、話しかけたい時に声がつっかえてすぐに喋れなかった。話しかけられた時はまだマシだったけど、自分から話しかけるのがすごく億劫でハードルを感じでちょっとしたことを先延ばしにしていた。

・考えられない→「死にたい」の四文字に支配されて他のことを何も考えられなかった。前向きなことはもちろん、何を食べたいか決められずスーパーで彷徨うとか、仕事の段取りとか、友達のDMの返信とか、何かを決めることが面倒くさく、どう考えればいいかも分からなくなっていた。どうしたいのか、どうしたくないのか、何も分からず「死にたい」か「死んだらどうなるんだろう」とシミュレーションするかに脳のリソースを全て使っていた。

 

そんな約2週間を過ごして、昨日急に鬱抜けしたから、正直まだ不安定だと思う。気持ちはスッとしてる割に頭痛や倦怠感は残っていて、万全じゃない実感はある。

でも、ここに挙げた心理的な症状は無くなっている。週末は掃除して、履歴書と職務経歴書を作りたいという意欲があるのが新鮮で、これが当たり前なんだよなと不思議な気持ちでいる。

このままギアを上げすぎずに騙し騙し元気になっていけたらいい。

 

2/末〜 鬱記録

旅行から帰ってきた2/24から発熱、25には39度、26も38度で欠勤、27は熱は下がったものの頭痛と体の痛みで欠勤、28も同じ状態で欠勤、29はなんとか出勤したもののしんどくて3時間早退、1は死ぬ気で勤務、2と3は寝たきり、4と5は頭痛、倦怠感、胃痛、吐き気、食欲不振、そして「死にたさ」に襲われながらなんとか出勤、6は上記の体調不良が悪化して起き上がれずAM休し午後はなんとか出勤、7も朝だいぶ身体が怠くて挫折しかけたがなんとか出勤。

 

列挙したとおり、体調不良からそのまま強い鬱症状が出て、毎日本当に死にたくて、身体の調子が全部悪かった。仕事に行くのにありえないくらい気力を必要とし、土日は寝たきりで過ごし、このまま仕事をバックれるのではないかと恐怖の中で日々を過ごしていた。

 

ここには書きたくないから書かないけど、死にたい理由は明確にある。しかも二つある。一つはめちゃくちゃ努力すればなんとかなるけどそれがいつになるか分からないことで、もう一つはどうにもならないこと。

 

死にたさは今に始まったことではない。10年ほど前からある。程度に差はあるけれど、年に一度は鬱期的なものがあり、死にたいと思う。数日で終わることもあるし、そんなに思い詰めないこともある。ただ今回は人生最大と言えるほどに、長く深い闇だった。

 

これを書いてる今は7日の夜で、冒頭に書いた通り今朝までは死にたかった。頭は鈍く痛く、身体は鉛のように重たく、臓器は縛られるような心地で、低い耳鳴りが止まなかった。

 

いつも巻いてる髪の毛は一つに結ぶだけで精一杯だし、メイクは下地と眉毛しか出来ず荒れた唇を隠すためにマスクをした。弁当なんて作れるわけもなく、かといって食欲もさして湧かないので、職場に置いているインスタント味噌汁だけでランチを済ませ、休憩の残り50分は寝ていた。40分立ちっぱなしの帰りの電車は必ず途中下車して駅のホームで座った。駅から家まで20分のはずの道のりは30分以上かかった。帰って座ると二度と立ち上がれなくなるから帰ったらそのまま風呂場に直行し、ドライヤーと歯磨きもそのまま済ませてすぐに布団に入っていた。

 

死にたいな、なんで生まれてきたんだろう、人生のあそこで間違えたな、やり直せないんだな、それでも人生って続くんだな、死にたい死にたい死にたい。布団の中ではずっとそう考えてた。

 

家でも職場でも通勤中でもずっと死にたいの四文字を繰り返した。家では口に出して言ってることもあり、気づいた時はビックリした。

 

みんなが見てるXや友人が見てるInstagramに、こんな状態であることを何度も書こうとしてやめた。直接心配されることに耐えられなかったから。何も言われたくなかったから。分かられたくもないし、諭されたくもなかった。生きたくても生きれない人がいるとか知ったこっちゃなくて、死にたいと思う私がいる事実しか私には関係ないと思った。

 

死にたいけど自殺はしない。できない。痛いし怖いし、やっぱりめちゃくちゃ迷惑かけるから。自殺しないくせに死にたいった思ったっていい。と、私は思う。だからめちゃくちゃ思いまくった。死にたい死にたい死にたい。生まれたくなかった。こんな人生のはずじゃなかった。やり直したい。

 

で、さっき突然飽きた。死にたいと思うことに。疲れた。馬鹿馬鹿しくてどうでもよくなった。どうせ死なないし。死ねないし。誰かに相談する気もないし。病院にも行かないし、仕事も辞めないし。いや、辞めたくなったら辞めるけどバックれるわけないし。死にたいと思ったって過ぎる時間の長さは変わらないし、起こる現実も変わらないし。

 

だから病んでたって意味ないなって。自分で勝手に自分追い詰めて、死にたいってことしか考えずに日々を過ごして今日が終わって。そんなこと繰り返したところで何も変わらない。誰も助けてくれないし唐突に人生が好転するわけもないし。

 

気楽に不真面目に適当に考えて生きた方がいいじゃんって。どうにもならない、どうでもいいから。無理矢理ポジティブになるのも嘘くさくてアホらしいけど、わざわざネガティブなこと考えまくるのもアホくさい。どうにかなる、なるようにしかならない。そういうこと。

 

ただ、平日休みで家から通いやすい接客の仕事に転職しようとは思う。今の職場の業務内容と通勤時間(往復3時間くらい)と、土日祝休みはかなり合わない。思えば異動になった6月から病むことが急激に増えた。定期的に死にたくなる大きな原因だと思うから。

 

以上を未来の自分への申し送りとする。

1/29〜 夢見るに値する春を待つ

来年度から在宅が始まる。今までの社会人生活で在宅をしたことがなかったから、通達を受けて空飛べそうなほどうれしくなった

それは、サボれる!職場に行かなくていいんだ!という邪な気持ちではない(ちょっとはある)。

7時に家を出て、20時前に帰ってく生活がつらかったのだ。朝は6時起きで眠すぎるし帰ってきてご飯食べてお風呂出たら22時とかでもう寝なきゃだし、平日に何かする時間がないなと思っていた。

残業はまったくないから甘ちゃんのちゃんちゃんだとは分かっているけれど、私はできる限りラクしたく、通勤往復2時間半はなかなか耐え難いものだったから、それが少しでも減ると思うとすごく自由になれる気がする。

在宅の日は8時半起きでもいいから、そしたら前日にレイトショーや飲みに行くのも気楽になる。

お昼も家で一人でYouTube見ながら食べられるんだもんな。今は自席で黙々と弁当食べてて、しかも電子レンジ混むから冷たい弁当だし、電話鳴るかもしれないからイヤホンできないし。

まぁ出社はこれからもあるんだけど、週1〜2で在宅できると思うと、うん、やっぱり空飛べる。やったぜ。

 

映画『カラオケ行こ!』あまりによくて、2週間経ってもしみじみ思い出してはワァ〜ってなる。リトグリの紅も毎日聴いてるし、ananに聡実くん役の齋藤潤くんが載っててめちゃくちゃ読んだ。原作も好きだけど、私は映画もかなり好きだ。

『ある閉ざされた雪の山荘で』観に行こうと思うんだけどなかなか行けず、とりあえず次は『夜明けのすべて』を観たい。

 

友人と行った下北沢も楽しかった。下北には中1から大2くらいにかけてよく遊びに行っていた。私にとっての東京って下北で、古着が好きになって、お小遣いやバイト代でそれこそ本当に「ときめき」「わくわく」を買っていた記憶がある。好きなものがたくさんあるなって思えた街が下北だった。

大3くらいから、他の東京を知り下北はなんとなく疎遠になり、年に一度行くか行かないかになっていたけど、今回はなんかちょっと「原点」かもと思える楽しさだった。カレー食べて、ハンドメイドアクセサリーをいくつか買って、B&Bと月日に行って、お酒飲んで。下北ってこまごまとしたものがたくさんあって楽しい。古着屋もまた開拓したい。

 

 

今週末は29歳の誕生日。29歳。ちょっとビックリしちゃう。むかし夢見た29とは程遠いけど、概ね悪くない29を迎えられるよ。なにより私は29をとっても楽しみにしている。理由はない。ただなんとなく、今年に入ってから加速度的に「ラク」になってきてる感覚があって、よく分からないけどすべてが大丈夫になって、最善に向かってるという確信めいた希望が燃えている、いやまだ燃えてないか、灯火がついたくらいの安心がある。

 

よい日々を過ごしていきたい。いけるよ。