1/22〜 日々

お風呂の排水溝と洗面台の抜け毛の多さからして、私が二人いるんじゃないかと踏んでいる。PayPayの残高の減りの速さ、洗濯を回す回数からしても、それは一目瞭然、周知の事実。さっさと捕まえて、もう一人の私にも家賃を払ってもらおう。私より高収入だったら多めに払ってもらおう。

 

部屋が乾燥しすぎている。あえて夜に洗濯して部屋干しすることで、睡眠中の喉の乾燥を防いでいる(つもり)。カーテンレールにハンガーをかけるために、カーテンを開けてシャッターを閉めて寝ると、部屋がいつもより暗くてひんやりする。顔が冷たくてなかなか寝れない。

 

2日連続で、元恋人が良くない夢の出てき方をしてきて、5時くらいに「ハァアッ!」って起きた。心臓バクバクだった。私は彼に遭遇することを深層心理でめちゃくちゃ恐れているんだなと思った。悪い別れ方を押し付けてしまったこと、許してもらおうと思ってるわけじゃないから謝りたくないのだれど、もし遭遇して彼から声をかけられてしまったら、震えながら謝ると思う。傷つけてごめんなさい、こんな仕打ちでごめんなさいって言う。それで走って逃げる。

 

7時に家を出て20時前に帰ってくる。通勤時間往復3時間半。改めて時間が無駄すぎて嫌になる。在宅勤務ができないか打診するも芳しくない。家にいるだけで毎月100万の収入のはずなんだけどな(ということで、引き寄せられるのではないかと思っている)

 

「真剣に頼めば、情に訴えれば、意見を通せると思うなよ」これ、黒板の上に貼っておきます。これが5年1組のモットーなので皆さん理性的に生きましょうね。学校の先生になる妄想をしながら、エクセルを開いたり閉じたりした。

 

仕事終わりに寄ったおかしのまちおかが大行列だった。おばさんが一人で一生懸命レジ打ちしてて、その横のレジに「この時間帯は一人しかいないためお待たせしております」と札が立ててあった。本社の人のように様子を伺いながら店内を見て、いくらか捌けたタイミングで並んだら、ちょうど休憩終わりのもう一人が戻ってきた。目配せしてレジの札を下げたおばさん②がカッコよかった。ふたりは元プリキュアかもしれない。歩きながらおやつカルパスを貪る。煙草が吸えたらカッコいいと思う。思うだけで絶対に吸わない。だから好きなだけ思う。

 

夏に首からかける扇風機に絡まってざっくり切り落とした首の後ろの髪の毛が伸びてきて、一つに結ぶとみすぼらしい。排水溝に溜まった髪の毛は本当に燃やすごみでよいと思いますか?今日の道徳では資源ごみの可能性がないか考えてみましょう。5年1組の担任として責任をもってみんなの意見を市の教育機関会に持っていきます。

 

 

本当は小説家になりたかった

最初に「しょうらいのゆめ」を言葉にしたのは、幼稚園の時だった。

 

おたんじょうびのアルバムに、顔の筋肉の使い方がまだ分からずしかめっ面で歪に口を開く私の写真の横に、先生の字で「しょうらいは、ドーナツやさんになりたい!」と書かれていた。

ドーナツやさん。

ドーナツが好きだった覚えもないし、ケーキ屋さんじゃないんだって感じもするし、もしかしたら前日に生まれて初めてミスドに行ってえらく感動したのかもしれない。とにかく、最初の「しょうらいのゆめ」は「ドーナツやさん」だった。

 

年長さんの時には「ふけいさんになりたい!」に変わっていた。

ドーナツやさんからの飛躍がすごい。

人生において婦警さんを見た記憶すらないというのに。デカレンジャーは放送開始前だったような気がするし。(調べたらデカレンジャーは2004年=小4だったので、やっぱり違う)当時のホットワードだったのかもしれない。

 

小学校の卒業文集では「カメラマンかデザイナー」と書いた。それはさすがに自分の意志で、それなりに考えて書いた。写真が好きとか、絵が得意とかではなく、自分を表現するような仕事がしたい!という、前向きな憧れだったように思う。

 

高校の面接では「通訳になりたいから、英語の勉強を頑張りたい」と話した。英語の成績が良かったわけでもなければ、なんなら海外に対する興味は一般の人よりもなかったが、「時代はグローバルっしょ!」という感覚だけがあった。あとは、「英語は出来た方がいいよね」とも思っていた。

 

大学受験する時は「国語教師」を目指していたので、国文学科に入学した。将来やりたいことが分からず、就職するにしても専門学校に行くにしても、これだというものが見つからなかった。将来の夢を決めるのを先延ばしにした。

「読書が好きだし国語も得意だし」くらいだったので、いざ入学して教職課程のシラバスを見て「本当に教員になりたいか?」と、ここで我に返ってしまい教職課程を履修すらしなかった。(今思えば、とりあえずでいいから教員免許を取ってもよかったんじゃないかと後悔している)

 

就活は本当に苦労した。やりたい仕事も入りたい会社もなくて、名前を知っている大企業の求人を眺めては「ま、無理だな」と思って挑戦すらしなかった。適当に面接を受けては当たり前に落ち、就職先が決まったのは年が明けて1月末だった。その会社は半年しか続かなかった。

 

今年で29歳になる。本当は小5の頃から小説家になりたかった。

 

なぜ、一度もそれを言葉にしてこなかったのか。それは「将来の夢=職業」だと思っていたからだ。小説家だって立派な職業の一つであることは分かっているが、セーラージュピターになりたいとか、どこでもドアがほしいとか、そういった空想の夢に近かった。口にしたところで、願ったところで、意味がないと思い込んでいた。努力でどうにかなることではないと、諦める以前のところで止まっていた。

幼稚園の時から、本をずっと読んできたし、趣味を聞かれたら「読書」と答えていた。小5の時から、ブログをずっと書いてきたし、文章を書くことは好きだと思っていたけど、散文的な文章を突発的に書けるだけで、物語を書いてみようとしたことすらなかった。

去年、文フリでアンソロジーに参加させてもらった時に、SSのようなエッセイのような文章を書いたけれど、その時は「せっかくだから本気で書いてみよう」と思うことを拒むような感覚があった。だからと言って、適当に書いたわけではなく、じっくり向き合うというより、最大風速が吹いた瞬間の勢いに乗って一気に書いたものだった。本気になるのを拒んだのは、私の才能の無さ、この才能は文才だけでなく努力できる才能が無いことに気づくのが怖いからだ。しかし、それと同時に覚悟の無さと私にとって本気の夢であることも痛感した。

大人になってから、転職をするたびに「小説を書いて生きていけたらいいのにな」と思っていた。やりたい仕事も入りたい会社もやっぱり私にはなくて、どんな仕事にもいまいち熱量が持てなくて、ただこなすように働く毎日をこんなもんだって納得していた。

それが突然、小説家になる夢を叶えてもいいんじゃないかって思った。働きながら小説を書いて、公募に出したりネットに出したりして、努力してみてもいいんじゃないかって。やってみたら飽きたり諦めがついたりするかもしれない。それならそれで納得できると思う。

「小説家になるという夢を叶えてもいい」という許可を、やっと私が私に出せたのが今このタイミングだった。今までは、小説家にはなれないことを前提に生きていたんだってことに気がついた。

書こう。何も分からないけど。何を書きたくて、どうやって書けばいいのか、全部分からないけど、私にちゃんと聞いたら答えてくれそうな気がしている。小説を書きたいという気持ちから逃げずに向き合うこと自体が、私を救ったり強くしたりするはずだ。

さらに先の話にはなるけれど、言霊を信じて最後にもう一つ書いておく。23歳から26歳まで働かせてもらった三省堂書店神保町本店が再オープンしたらサイン会を開催する。だからみんな、その時まで働いていてね!

反射して光る

ケンティーの脱退は衝撃だった。アイドルが天職だと信じて疑わなかったのはファンだけではなくて、他の誰でもない中島健人自身だと思っていたから。自分の人生だから、自分が選んで決めて進む権利はあるのだけれど、グループとして活動している以上、他のメンバーの人生も背負ってるという責任は、やっぱり忘れて欲しくないと思う。自分は30歳で節目だと思っているかもしれないけど、20代のメンバーがいること、自分を含めたグループを応援しているファンが少なからずいること、それらを客観的に見て総合的に判断して、本当に今この決断をするのが正解なのかを考え……たんだよな。その上でこの選択を正解にするために、その覚悟を持って決断したんだよな。

ただケンティーが脱退することは、その事実以上の意味を持つ出来事だと思ってしまう。ケンティーがグループとしてアイドルを続けられないという選択をしたことは、他のアイドルたちもギリギリのところにあるんじゃないかと諦観してしまいそうになる。今日が最後かもと、もう会えないかもと、覚悟するような祈るような気持ちで推しを見るのは、つらい。

ファンは無力だ。なんて思いたくないが、どんなにお金を使って声を届けても、預かり知らぬところで何かが起こっていつからか考えていていつの間にか決めて、事後報告されてばかりいる。その時に何を言っても変えられないってことを痛感することしかできない。応援をしてもしてもしても、推しが決めたことはこの声ではいつだって覆せないから無力だ。

願うことしかできない。いつまでもグループにいてくれますように、アイドルを続けてくれますように、幸せでいてくれますようにと。

 

カーブミラーに映らない位置にいる

朝の20分には2時間分の価値があるのに、体感は2分なのだ。6:00から10分おき、4度目のスヌーズでベッドから溢れる身体は自分のものじゃないみたいに言うことを聞かない。

 

素直にまっすぐ伝えれば受け入れてもらえると思う純粋さと傲慢さと、今までそうやって受け入れてもらってきたという成功体験に裏付けられた自信に傷つけられる。受け入れられない私が悪いみたいになる。君が自信を失わないように私が悪者になる。

 

男友達が切り取らない瞬間、収めない画角のアイコンに変わったのを見届けて連絡先を消した。感傷に浸るのが趣味だから、立候補するなら悲劇のヒロインだから。でももうこの舞台から降りようと思えた。ピン留めしたターニングポイント、振り返って引き抜く。

 

【今週観た映画】

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【今週聴いていた曲】

Raise

Raise

  • Chilli Beans.
  • J-Pop
  • ¥255



 

 

 

2023年

2023年、28歳の一年を振り返る。

 

今年は転職したり、後半は肺炎になったりと、落ち込むことも多かったけど、おおむね「凪」な一年だった。何年か後に2023年って何があった?と聞かれても、とくに思い出せないんじゃないかってくらい何もない一年だった。環境は変わったけど、感情の振れ幅があまりなかった。

その理由の一つとして、恋愛要素が一切なかったというのは、すごく大きいと思う。18歳から約10年、あまり途切れることなく彼氏がいたり、もっと遡れば小学生の頃から、つねに恋愛をしていたりと、いつも誰かのために自分を磨いたり犠牲にしたりしていたわけだけど、今年は誰のことも好きにならなかったし、彼氏も作らなかった。

というのも、立て続けにちょっと疲れる恋愛をしてしまったので、誰かと二人組を作ることがすごく億劫だった。誰かを好きになったり、好きになられたりすることを避けるようになってた。なので、出会いも求めなかったし異性をちゃんと見てなかった。

寂しいとも思わなかったし、結婚に対する焦りもなかったし、自分のためにお金と時間と脳のリソースを使えて、自分のために生きられたので、結果としてすごく必要な一年だった。

自分と向き合う時間が多かったことで、内省的な気持ちが強く出て、色んなことに後悔したり、今までの全てが間違っていたんじゃないかって気持ちになったり、なにもかもが嫌になって辛い時もあったけどやっぱりこれも必要なことだった。自分の弱さや至らなさを痛すぎるくらいに実感したことで、成長するきっかけを見つけられたと思う。

動きはすごく少なかったけど、ずっと考えて色々考えてた、そういう一年だった。

 

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来年は、外に出て人に会って行動をたくさん起こしたい。どんどん挑戦して失敗して、すごい勢いで変わってしまいたい。多少ムリヤリでも明るく前向きに、幸せになることを諦めずにいたい。

その中でもやっぱりもう一度恋愛は頑張りたい思う。恋愛って億劫で疲れるものっていう印象は拭えないけど、楽しさや嬉しさも知ってるし、ずっと一緒にいたいと思える誰かに出会えるならその方がいいと思うから。

恋人のために自分を変えたり犠牲にしたりするのではなく、健やかな自分のまま一緒にいられる人と出会えたらいい。

仕事は相変わらずしっくり来ていないけれど、本当は何がしたいのか、妥協できる部分はないのか、我慢するか続けるか以外の選択肢を増やしたい。

人生の大部分を占めるのは仕事だけど、趣味の部分とか、副業を始めるとか、そういう方を充実させたっていいわけだし。

自分で自分の可能性を狭めないように、防御力じゃなくて戦闘力を上げるつもりで挑戦していきたい。

 

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今年に限らず、22歳くらいからぼんやりずっとしんどくて、楽しみきれなくて、自分の人生なのにどこか他人事みたいな感覚があったけど、来年はやっと自分の人生の手綱を握れそうな気がする。

今後の人生を丸ごと変えるくらいのターニングポイントとなるように、しっかり自分の足で立って、たくさんの景色を見ていきたい。

 

よく頑張った、良い一年でした。

 

出会ってくださった皆さん、大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

2023年12月31日

切実