本当は小説家になりたかった

最初に「しょうらいのゆめ」を言葉にしたのは、幼稚園の時だった。

 

おたんじょうびのアルバムに、顔の筋肉の使い方がまだ分からずしかめっ面で歪に口を開く私の写真の横に、先生の字で「しょうらいは、ドーナツやさんになりたい!」と書かれていた。

ドーナツやさん。

ドーナツが好きだった覚えもないし、ケーキ屋さんじゃないんだって感じもするし、もしかしたら前日に生まれて初めてミスドに行ってえらく感動したのかもしれない。とにかく、最初の「しょうらいのゆめ」は「ドーナツやさん」だった。

 

年長さんの時には「ふけいさんになりたい!」に変わっていた。

ドーナツやさんからの飛躍がすごい。

人生において婦警さんを見た記憶すらないというのに。デカレンジャーは放送開始前だったような気がするし。(調べたらデカレンジャーは2004年=小4だったので、やっぱり違う)当時のホットワードだったのかもしれない。

 

小学校の卒業文集では「カメラマンかデザイナー」と書いた。それはさすがに自分の意志で、それなりに考えて書いた。写真が好きとか、絵が得意とかではなく、自分を表現するような仕事がしたい!という、前向きな憧れだったように思う。

 

高校の面接では「通訳になりたいから、英語の勉強を頑張りたい」と話した。英語の成績が良かったわけでもなければ、なんなら海外に対する興味は一般の人よりもなかったが、「時代はグローバルっしょ!」という感覚だけがあった。あとは、「英語は出来た方がいいよね」とも思っていた。

 

大学受験する時は「国語教師」を目指していたので、国文学科に入学した。将来やりたいことが分からず、就職するにしても専門学校に行くにしても、これだというものが見つからなかった。将来の夢を決めるのを先延ばしにした。

「読書が好きだし国語も得意だし」くらいだったので、いざ入学して教職課程のシラバスを見て「本当に教員になりたいか?」と、ここで我に返ってしまい教職課程を履修すらしなかった。(今思えば、とりあえずでいいから教員免許を取ってもよかったんじゃないかと後悔している)

 

就活は本当に苦労した。やりたい仕事も入りたい会社もなくて、名前を知っている大企業の求人を眺めては「ま、無理だな」と思って挑戦すらしなかった。適当に面接を受けては当たり前に落ち、就職先が決まったのは年が明けて1月末だった。その会社は半年しか続かなかった。

 

今年で29歳になる。本当は小5の頃から小説家になりたかった。

 

なぜ、一度もそれを言葉にしてこなかったのか。それは「将来の夢=職業」だと思っていたからだ。小説家だって立派な職業の一つであることは分かっているが、セーラージュピターになりたいとか、どこでもドアがほしいとか、そういった空想の夢に近かった。口にしたところで、願ったところで、意味がないと思い込んでいた。努力でどうにかなることではないと、諦める以前のところで止まっていた。

幼稚園の時から、本をずっと読んできたし、趣味を聞かれたら「読書」と答えていた。小5の時から、ブログをずっと書いてきたし、文章を書くことは好きだと思っていたけど、散文的な文章を突発的に書けるだけで、物語を書いてみようとしたことすらなかった。

去年、文フリでアンソロジーに参加させてもらった時に、SSのようなエッセイのような文章を書いたけれど、その時は「せっかくだから本気で書いてみよう」と思うことを拒むような感覚があった。だからと言って、適当に書いたわけではなく、じっくり向き合うというより、最大風速が吹いた瞬間の勢いに乗って一気に書いたものだった。本気になるのを拒んだのは、私の才能の無さ、この才能は文才だけでなく努力できる才能が無いことに気づくのが怖いからだ。しかし、それと同時に覚悟の無さと私にとって本気の夢であることも痛感した。

大人になってから、転職をするたびに「小説を書いて生きていけたらいいのにな」と思っていた。やりたい仕事も入りたい会社もやっぱり私にはなくて、どんな仕事にもいまいち熱量が持てなくて、ただこなすように働く毎日をこんなもんだって納得していた。

それが突然、小説家になる夢を叶えてもいいんじゃないかって思った。働きながら小説を書いて、公募に出したりネットに出したりして、努力してみてもいいんじゃないかって。やってみたら飽きたり諦めがついたりするかもしれない。それならそれで納得できると思う。

「小説家になるという夢を叶えてもいい」という許可を、やっと私が私に出せたのが今このタイミングだった。今までは、小説家にはなれないことを前提に生きていたんだってことに気がついた。

書こう。何も分からないけど。何を書きたくて、どうやって書けばいいのか、全部分からないけど、私にちゃんと聞いたら答えてくれそうな気がしている。小説を書きたいという気持ちから逃げずに向き合うこと自体が、私を救ったり強くしたりするはずだ。

さらに先の話にはなるけれど、言霊を信じて最後にもう一つ書いておく。23歳から26歳まで働かせてもらった三省堂書店神保町本店が再オープンしたらサイン会を開催する。だからみんな、その時まで働いていてね!